Rashii

八ヶ岳高原ロッジと、
そごう・西武のCSV活動
4回シリーズで
お届けします。

(自然+文化)+あなた=自然郷

長野県八ヶ岳連峰の東山麓、標高1,400m~1,800mのなだらかな斜面に広がる「八ヶ岳高原海の口自然郷」。約200万坪の自然の中に別荘が点在するリゾート。1960年代前半、ここはかつて過放牧によって治水力さえ失った荒地でした。50年以上前33万本を超えるカラマツを植えることから始まって、自然の再生・自然郷の開発からスタート、今では様々な動植物が生息する、生物多様の楽園となりました。そしてここには、その豊かな自然と寄り添うように、八ヶ岳高原音楽堂を中心とする文化も息づいています。“(自然+文化)+あなた=自然郷”、「人も自然の一部」という考えのもと、50年以上かけて、ゆっくりと育ててきた自然と文化。そんな八ヶ岳高原海の口自然郷の歴史をたどりながら、今のそごう・西武の取り組みまで、その共通する「らしさ」とは何か?社会的存在意義=パーパスは何か?を探っていきます。冬の澄んだ空気が気持ちのいい八ヶ岳高原音楽堂で、そごう・西武CSR・CSV推進室 薄井氏、八ヶ岳高原ロッジ 別荘事業部 中澤氏、八ヶ岳高原ロッジ支配人 油井氏にお話をお聞きました。
(取材・文:橋本和人)

木を切って、切り開いた
別荘地ではない。
木を植えて、つくりあげてきた
別荘地なんです。

長野県八ヶ岳連峰 東山麓

―八ヶ岳高原海の口自然郷の歩みについて教えてください。

中澤氏)当時の西武グループが、1963年、昭和38年に、こちら地元の長野県南牧村海の口財産区というところから譲り受けたのがそもそもの始まりです。ここは今ご覧いただいてわかるように、木々が森のようになっておりますが、もともとは海の口牧場という牧場の跡地で、当時は木がほとんどなく、表土が出ていて、しかもその土も流れてしまっているような荒地で、正直、当時なんで買ったんだろう?というようなところでした。そこを200万坪譲り受け、どう木を植えて、どう道路をつけていこうか?といった、基本的なランドスケープを、当時堤清二さんが何度もこちらに足を運ばれて、計画していきました。開発が始まってから、今年55年を過ぎて56年目となります。

1963年取得当時の八ヶ岳高原海の口自然郷 ※1963年取得当時の八ヶ岳高原海の口自然郷

開発は木を植えるところから始まりました。表土が荒れてしまっている、標高も1450m~1800mある、ということで、どんな木を植えたらいいのか、当時はいろいろな木から、選定したようです。その中で、一番生育が早い、土の流れを早く止められて、なおかつここの気候にあっているということで、ここはカラマツの実の産地でもあるし、カラマツを中心に植えようと。いまではこのような森となっています。やはりカラマツの成長は非常に早いので、そういった意味ではカラマツを選んだのは正解だったのでしょう。八ヶ岳高原という名前にもあるように、当時は「高原」だったんですね。これがもう、今ではどちらかといえば「森」。

カラマツを33万本植えて、まずは目的として、土地の治水能力の向上、土のなかに水を残すということでした。そしてそこから緑を復活させていくのですが、本来ここにあるべき自然のカタチというのは、どういうものなのか?または、植林したカラマツを放っておくと、どんな生態系になるのか?さらには場所によって標高差が350~400mくらいありますので、それぞれのエリアであるべき姿とは何だろう?と、かなり前から調査を行い、別荘のオーナーさんと一緒に、いろいろと試行錯誤してきました。その過程で、「自然郷環境憲章」というものも生まれました。

薄井氏、油井氏、中澤氏 ※左から薄井氏、油井氏、中澤氏

油井氏)憲章を制定するにあたり、委員会というカタチで、いろんな分野の専門の先生、例えば地元の信州大学、そして東京農工大学、鳥類保護連盟、自然保護協会ですとか、様々な先生方に、ここをしっかり見ていただいて、学術的な観点からもこういうことが必要だろうということを、ご指導いただきました。この憲章は別荘の販売という観点で見てみると、規制や制限がありますので、ある意味売りづらくしているということになるのかもしれません。「何にもしなきゃ売れるのに」と、外部から言われたこともあります。しかしやはり、ここの自然が大好きで守っていきたいという方に買って使っていただきたい。そういう理念を持ったコミュニティだと言えると思います。

自然郷環境憲章

中澤氏)ここは、木を切って、切り開いた別荘地ではない。木を植えて、つくりあげてきた別荘地なんです。なのでベースとなるのは、むしろ、いかに自然を大切にするかになります。そしてその自然とどう向き合っていくのか?と考えていくことにつながっていきます。

八ヶ岳高原音楽堂 ※八ヶ岳高原音楽堂

自然が好きな人たちが集まって、
そのコミュニティの中で、
いろんな文化が育まれてきた

―自然との向き合いについて(自然+文化)+あなた=自然郷とコンセプトを掲げられていますが、そこにかける想いを教えてください。

油井氏)自然があって、その自然が好きな人たちが集まって、自然を大切にするという理念を持ったコミュニティには、堤清二さんが関わられていたということもあるとは思うのですが、当時の文化人とでもいいますか、作家の方ですとか、音楽家の方ですとか、評論家の方ですとか、そういった方が多かった。例えばそういう方々が自然の中でリラックスするのに、音楽というのは、みんなで一緒に楽しめるし、いいよねっていうことで、名曲を持ち寄ってレコードコンサートを開いた。そこから始まって、それがだんだんレコードじゃなくて、演奏家を呼ぼうよ、ということでコンサートになって、そして音楽堂へとつながっていきました。そんな風に、自然が好きな人たちが集まってそのコミュニティの中で、いろんな文化が育まれてきた。そこが、ここの魅力になってるんです。それを言葉としてまとめると、(自然+文化)+あなた=自然郷ということになるのだと思います。

HISTORY

  • 1963:「八ヶ岳高原海の口自然郷」の始まり
  • 1965:第1次別荘地分譲スタート
  • 1969:「八ヶ岳高原ヒュッテ」開業
  • 1972:建売別荘分譲開始
  • 1974:ミニコミ誌「標高1500m」発行
  • 1975:第1回サロンコンサート開催・リゾートホテル「八ヶ岳高原ロッジ」開業
  • 1976:テレビドラマ「高原へいらっしゃい」放送
  • 1987:集合別荘「ソアレ」シリーズ分譲開始
  • 1988:「八ヶ岳高原音楽堂」竣工
  • 2003:テレビドラマ「高原へいらっしゃい」リバイバル放送
  • 2019:「みどりの社会貢献賞 特別賞」受賞

―八ヶ岳高原海の口自然郷の活動が、第7回 みどりの社会貢献賞 特別賞を受賞しました。この賞は企業の緑地について良好な管理等により社会・環境へ顕著な功績のあった企業活動を表彰するものです。56年前、荒廃した土地に木を植えることから始まり、その自然をつくることへの試行錯誤が、多様な動植物の再生と、人も含めたコミュニティを生み、さらにそれは様々な文化を育む土壌にもなりました。ここでキーワードとなるのは「コミュニティ」。「荒廃した土地を生物多様な自然としてよみがえらせた」「様々な文化を生み発信した」という、社会と環境への貢献の原動力となったのは、「コミュニティ」にあると思います。八ヶ岳高原ロッジとそごう・西武のつくる「コミュニティ」とは?そこに流れる「らしさ」とは?

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